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IT業界・システム開発・20代前半・女性

入社して1年はホワイトだと信じてました。私は本社勤務で女性だったので、比較的優しくしてもらえたのかな、と思います。支社勤務の人は、能力があるのに役員が見ていないという理由で正当に評価されず給料がほとんど上がらなかったそうです(別会社に引き抜かれました)。大型案件に取り組んでいる間は業績好調でその後崩れるという波を繰り返していると、長く務めている先輩が嘆いていました。自社製品を作ろうとしては途中でやめてしまうとも。役員は目を付けた社員を精神的に追い込むことでストレス発散しているようでした。

 
ここからは私の見聞き・体験した内容です。

就職氷河期真っ只中に新卒就職活動をしていた世代です。文系の大学生だった私は、とにかくいろいろな会社を受けては落ちるを繰り返していました。専門的な勉強をしていない、資格も免許もない学生は皆同じような状況だったのです。説明会に参加した会社は100社を超えていました。
そんな厳しい状況の中、唯一内定をもらえたのがその会社でした。大学生なら文系卒でもみっちりと研修をするので大丈夫、基本的に残業なしで月平均は30時間、説明会の話では基本的に社内勤務で社外勤務になる場合は開発経験を積んでからとのことでした。知識のない私にとっては、研修がしっかりしているという所が魅力的でした。説明会から最終面接まですべて一人の人事の方が一貫して担当していらしたので(最終面接は社長、常務、人事の方という構成)、安心感がありました。

 

入社してしばらくは、「この会社はなんと素晴らしい会社なのだろう」と思っていました。説明会では先輩方が懇切丁寧にPG言語を教えてくれ、時に社内の人のうわさ話で和ませてくれる。上司や先輩方もほぼ残業なしで、新人に対しては定時に上がるように指導がある。仕事の内容は難しいが、新人の質問を邪険に扱う人はいない。役員との距離も近く、私が数少ない女性ということもあり、よく声をかけてくれる。業績も右肩上がりだったらしく、オフィスを拡張し機材を新規導入していく。ボーナスも他社の友人より多くもらっていた。

 

暗雲が立ち込め始めたのは1年目の年が明けた頃。各案件の資料などを格納するサーバーに、新規の案件が増えなくなったのです。それまでは3か月ごとかそれより短いスパンで案件が追加されていたのですが、それがない。役員と上司の会議も増えました。役員の機嫌も悪くなっていたのか、営業さんがたびたび役員室に呼び出され、怒鳴り声が聞こえてくるという回数も増えました。怒鳴られる営業さんは一人だけだったのですが、その人の表情は日に日に暗くなり、私が1年目の3月に退職していきました。

 
不穏な空気のまま、私は2年目になり、後輩も入社してきました。着手できる案件は「とりあえず」ありました。仕様バグの対応です。ただ作業量的には多くなく、むしろ少ない状態でした。一人で2日あれば余裕で終わる仕事を、二人か三人で暇を持て余しながらこなしていました。これで給料をもらえるなら楽なもの、と気楽にいられたのも1カ月ほど。そのあとは「いつか会社が倒産するのでは」と不安な気持ちで過ごすことになりました。

 

夏休みの日程調整を行う時期に、突然多くの男性社員(当時社内勤務をしていた半数以上)が会議室に召集されました。会議の後で確認したところ、長期出張での仕事の説明だったようです。メンバーの中には最近会社の近所に家を借りた私の同期(2人います)も含まれていました。出発は翌週。すべてが突然でした。あわただしく出発した出張メンバー。残されたのはプログラムがあまりできない男性社員と、プログラムを作る業務を任されたことのない女性社員、別現場への派遣が決まっている先輩といった頼りないメンバーばかり。できる仕事は限られています。そもそも社内でできる仕事がほぼありません。残された私は一種の絶望感を覚えました。

 

業績が急激に傾いて行ったのは明白でした。冬のボーナスなしは覚悟していましたが、本当に出ないのはやはり衝撃でした。ただ、それよりも会社を疑ったのは、ボーナスを出さないことに対する謝罪がなかったことです。全体会議の際に一言「今回、賞与無しとなりましたが」と言って、次の話題を話す程度。良い時はあれこれと「良かった理由」を話すのに、悪い時はこうなのかと会社に対してがっかりしました。

 

その冬に、数名の先輩がリストラされました。私たちの研修に付き合ってくれた先輩もいたので、かなり衝撃でした。
仕事納めの日に、長期出張組が一時帰社しました。その日の晩、同期で集まり飲みに行ったのですが、出張組の同期が向こうの話をしてくれました。現場のすぐ隣のホテルで寝起きしていること、寝床と現場が近いため、夜11時近くまで勤務するのが常態化していること、ほぼ休みがないこと、一人あたりの作業スペースはノートパソコンの幅程度ということ…。聞くほどに労働環境が悪いことが分かり、驚きました。何よりも驚いたのが出張組の同期2人が、2人そろって1月から支社に転勤になるということ。2人ともこちらに家を借りたまま出張に行っており、帰ることもかなわなかった出張中約半年の家賃は発生していました。転勤先の部屋は会社が用意していたのですが、狭小で洗濯機は共同(しかも古い)、自分で家を探すと家賃補助がなくなる、引っ越し費用は一部しか出してもらえない…と、転勤して良い条件が一切ないのです。同期二人はひたすら愚痴をこぼしていました。引っ越しは年末年始、せっかくの冬休みに休むことできないだろうとのことで、社内勤務の私は自分の状況が恵まれている気がして何も言えませんでした。

 

この頃の私の仕事は、まるで賽の河原の石積みのようでした。渡された資料の指定箇所をひたすら入力するだけなのですが、入力後の資料を提出すると、入力フォーマットと入力箇所の微妙な訂正が入る…というやりとりを延々と繰り返していたのです。業務指示は役員から出されていたのですが、役員が作ってみたいシステムの下準備ということで、言ってしまえば一円にもならない業務でした。お金にならないシステムでも、設計の手伝いが出来れば開発者として経験値が上がりますが、そういう美味しいところはすべて役員が独占していました。こんな作業が半年近く続きました。「こんな仕事しかさせてもらえない」と自信喪失していました。転職しようにも自身をアピールする材料が探せないのです。出来ることを見つけられない、ますます自信を失います。

 
そんな状態で迎えた3年目の春、突如社外勤務を命じられました。ベテラン3名と私のチームで約3カ月の予定です。ベテランがシステムに手を加え、私はその動作確認をするという役割分担とのこと。面接という名の顔合わせのため、役員と共に取引先に向かいました。面接はものの30分程度で終わりました。役員は「それじゃ頑張って」と言い残し去っていきました。残された私たちはそこから仕事です。その日現場を出られた時には夜9時を回っていました。そこからは毎日早くて夜10時退社の日々。私は女性だからその時間に帰してもらっていましたが、ベテランは徹夜している日も多かったです。

 

業務は動作確認の予定でしたが、確認するべき対象が不完全で、気づけばシステムの修正を任されていました。研修以来のシステム開発ですし、この現場で使用するPG言語は未経験でした。そんなレベルの私にベテランと同じような締め切りを言い渡す現場。後に聞いたところ、この現場はIT業界始まって以来の炎上っぷりだったそうです。もちろん、3カ月で仕事が終わるはずもなく、結局この現場に約1年滞在しました。その間、別現場へ出張していた社員がこちらに派遣されるなどでチームメンバーは増えました。期間延長の原因は取引先の仕事の悪さにあったのですが、役員は「期間延長はお前たちの仕事の遅さの所為だ」と遠回しに言い、労いの言葉をかけてくれることはありませんでした。私は体調を崩したため退職願を出しましたが、受理されず、代わりに社内勤務に戻りました。

 

社内での仕事は新卒採用。以前は人事部が担当してましたが、引継ぎをすることなくメンバーチェンジです。採用担当は複数指名されましたが、私以外は数件のプロジェクトを兼任しておりましたので、実質私が採用業務をまわしていました。相談しようにも他のメンバーは手が空かない、任せたと言っておきながら直前で注文を山ほどつける…。体調が万全でない中奮闘しましたが、しんどかったです。説明会で学生と向き合いながら、こんな会社に新人を入れて良いのかと悩みました。ちなみに、採用業務をほぼ全部こなしましたが、その間開発の業務もありました。

 
結局、自律神経の病気になり会社を辞めましたが、同じ時期に20年近くこの会社に勤めていた先輩も辞職しました。家庭持ちで優しい人と、空気の読めない「出来ない」人だけになっていく会社。いつまで存続するのでしょうか…。